clap3’s blog

哲学的実践の記録。きみの鞄は未だ重いのかい?

人生の荷物


ひとつ、私が維持していきたい哲学にミニマリズムの精神があります。ミニマリズムそのものは、禅でも何でも、突き詰めて実存について考えればどうしても行き着く道だと感じます。

——端的に言うと物を減らしたい。
可能な限り荷物を少なくし、煩わしさからも解放された状態を目指しています。
皮相なことに、そうすると必要になるのは、持つべき物について徹底的に考えることです。
自分の持ち物、試行錯誤について、ぼちぼちと披露していきます。
最終的に、トランクひとつ分ほどに落ち着く予定です。

ひとつ目は、iPhone6。plusではありません。色はシルバー。

この二十一世紀にあって、電子機器をゼロにするのは逆に非合理的です。
iPhoneはタイプライターにもなり(6の4.7インチディスプレイを横にすると、オンスクリーンで実に小気味よくタイプ可能——縦表示でもqwertyしか使わない派。でもAppleのワイヤレスキーボードの導入も検討中)、電子書籍を詰めた小さな書庫でもあり、カメラでありフォトアルバムであり、お気に入りのBowers & Wilkinsのイヤホンを差して音楽を流すこともできるし、夜行バスの価格を調べて予約を取るのだって一瞬でできるし、懐中時計も懐中電灯もキッチンタイマーもアラームクロックも計算機も地図もコンパスも分度器/水平器も兼ねて、筐体は138.1mmと67mmと6.9mmの、ちょっとしたもののサイズを測るのに使えるスケールにもなり、そして勿論その名が示す通り完璧に電話であり、尚且つジャケットの内ポケットにすっと滑り込ませてどこにでも一緒に持ち歩けるのです。

そして我がiPhoneにはブラウンのbookbook caseが被せてあります。これには運転免許証とキャッシュカードとクレジットカードと個人番号通知カード(つまり、私の所有するカード類のほぼ全て)、少々の紙幣が差してあるので財布にもなっていて、ケースが横置きのスタンドとしても機能し(スタンドのようなアクセサリーを別に持つのはナンセンス)、しかも表を閉じれば小さな古書のような佇まいになるのです。

iPhoneひとつを持つことで、削減できるものの数は両手の指で数えても足りません。